【昔の記憶】長いこと気づいていなかった親からの“縛り”

●私が思うこと,考え・気づき

私が思うこと 凸凹家族のひとりごと。

こんにちは☆lenoreです!

今日は、私が長いこと気づいていなかった母からの縛りについて書こうと思います。

今自分が娘と接する上でも、もしかしたら関係があるかもしれません🤔😳

私の「暮らし」の変遷

今までの記事でもちょこちょこ書いてるかもですが…

私が3歳の頃に両親は離婚しその後はずっと母との2人暮らしが続きました。

40代で私を出産し女手一つで育てるというのはかなり大変だっただろうと思います😭

そんな母は、私が20歳になりたての時にガンで亡くなりました。

61歳。「やっと年金がもらえるようになった!娘(私)がバイト始めて少しだけ荷が降ろせる!」そんな矢先のことでした。

 

母が亡くなってからは、2人で暮らしていた家でそのまま1人暮らし開始

私が通っていた大学のコースが夜間主だったので、

昼間に少し長めにバイトしてから→夕方頃から大学へという生活になりました。

結局大学卒業後も1人暮らしだったので、トータルで6~7年1人暮らしだったのかな?

そして主人と結婚し、また2人暮らしになりました。

 

この実母と2人暮らし→1人暮らし→主人と2人暮らし】の変遷の中で気が付いたことがありまし

母の「許可」

私が小さい頃は、母の許可がないと友達と遊びに行けませんでした。

許可っていうのは「(家に帰る)おかあさーん、〇〇ちゃんと遊びに行ってくるねー」「はーい、あんまり遅くならないでよー」的なものではなくて、

「誰と、どこで、何時ころまで遊ぶ」っていうのをはじめにちゃんと言って、それを母が聞いてOKって言わないと気軽には遊びに行けなかったんです

(「母子家庭で子ども(私)が帰る頃はまだ働いてたし、連絡手段と言ったら電話かあってもポケベルくらいで、今みたいにみまもりケータイとかスマホも無かったし心配だったんだろうな」とも思いますが…結構厳しかったかな😅)

 

なので下校時に「遊ぼう!」「いいよ!じゃあ◯◯でね!」みたいな気軽な約束が出来なかったんです。

まぁ正確に言えば束自体は出来るけど許可が出るかは分からない状態」ですよね。

 

それに加えて
特定のあの子なら良い・あの子たちはダメみたいなのがあったし
行く場所もここなら良いと限定されていたし
携帯を持ち始めた頃は場所を移動する時に連絡を入れなきゃいけなかったし…

…これだと約束自体は出来るって言っても、実質「無理だろうな」→「ゴメン今日は遊べないんだ」の連続になっていました🙄😐

心配?束縛?←自らそうしてた部分も…

他にも、
●携帯見られてメールを確認されてたこともあったなあ…🙄←怒るとこっしょ私!
●テストで88点とかでも怒られてたなあ…🙄←頑張ったよその点数!
●遊んでて他の子が次の場所に移動し始めてる時、私は申し訳ない感じで母に連絡しなきゃいけなかったな…🙄←別に特別悪いことでも全く無いよ!

これが「心配の範疇」なのか「束縛の範疇」なのか?

 

その後、1人暮らしや主人と2人暮らしするようになって分かったのは、

の気持ちに応えようと自らそうしてた部分もあっただろうな」ということでした。

母と距離が近すぎてちょっと縛りがきつくなっていることも気づかず、あまり反抗しなかったんですよね…

…というかその時はそれが普通だとさえ思っていました。

 

母のこと、とても尊敬していますし、大学まで行かせてくれて感謝しきりです。

でも、自分が母になって娘と接する現在は、

●娘は私とは別のいち個人で別人格。家族だからと言ってプライバシーを侵害しない。
●やってきたことをまず褒める(88点とかでもあまりいい顔をされなくて、私自身の自己肯定感に結構影響を与えたと思うので)

など反面教師にしないといけないところも多いなと思います。

…というか↑これ普通のことだよな😂笑

 

読んでいただきありがとうございました☆

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Posted by lenore