【お世話係】子どもの頃お世話係だった私が、助けてもらう側の子の親になっても「うーん…」と思うこと

こんにちは、lenoreです。
今回は、子どもの頃お世話係→今は助けてもらう側の子の親になった私が、
昔も今も学校のお世話係制度に「…🤔」と思う理由について書こうと思います。
私が子どもの頃あったけど、今でもあるみたいですね🏫
明確な規定がある係ではない感じがするので、ふわっと始まったのか…それとも地域によるのか…よくわからない制度(?)ですね。
自分がお世話係だったこと、最近思い出しました(遅)
「お世話係」という名前自体は割と最近知ったのですが、
その内容を見た時に「ん…?これ私小学生の時にやってたやつなんじゃない…?」と思い当たる点がいくつかあったんです。
自分が小学生のころお世話係をやっていたこと…30代になって思い出しました💦遅
そんなきっかけで昔のことを思い出していて感じたのは【私はお世話係制度には「…🤔」だな】ということでした。
これは昔自分が経験した立場としてだけではなく、
今現在、知的障害+自閉症スペクトラム+ADHDの子を育てている母親の立場から見ても、同じように感じました。
知らない間にかなり任されていた
小学校低学年の頃。席替えで私はある男の子の隣の席になりました。
何人かずつのグループごとで移動させるクジ式の席替えだったんですが、その子の隣の席になったのは先生からの指示でした。
彼はかなりおしゃべりが多いタイプで(特に「ま◯◯」とか「ち◯◯」とか若干下の方の話が多かった)、
体のどこかをずっと動かしている子だったので、子どもながらに「うーん…ちょっと大変になりそうだな…」と感じていました😦
でも、私は比較的 “先生の言うことを聞く生真面目なタイプの子” だったので「頑張ろう」と思っていたんです。
自分で言っちゃいましたが…笑、先生からしたら従順な子という感じだったと思いますホントに。
…でも結果頑張れませんでした😣
というのも、
●教科書をかなりの確率で持ってきていないので、くっつけた机の真ん中で一緒に教科書を見ないといけない。
→私の教科書に卑猥な絵とか言葉とか記号?とか書かれて「ねぇこれって知ってる?」などずーっと聞かれてたので全く授業に集中できないし、そもそも教科書がよく見えない💦
●教室を移動して行う授業の時も大体そのままの席順=同じ席の配置。
→一息つく暇がなかった。私自身そんなに元気なタイプの子ではなかったので、少しでいいから「静かな時間」が欲しかった💦
●席の配置がちょうど教室のど真ん中あたり。
→先生から全く見えない位置ではないけど、何をされているか・何を言われているかは先生には聞こえない位置。たくさん話しかけられて困っても、すぐに助けに来てもらえる距離ではなかった💦
…とこんな感じで、学校内のいろんなことに対して気持ちが落ち着かないことが多くなってしまったんです。
あれ?先生だいぶノータッチじゃない?=知らない間にかなり任されちゃってない?と気づいた頃、
私は初めて母に話して、母から先生に話してもらって、少しずつ良い方向へ変化していきました。
誰が、どこまで、負うのか
このお世話係の経験を思い出している最中、一緒に頭に浮かんできたのは、元小学校の先生である義母さんの言葉でした。
知的障害と自閉症をもつ娘の保育園年少入園を見送り…年中入園を見送り…そして年長入園を悩んで悩んで諦めた主な理由は
【常時は居ない加配制度 × 娘の多動による脱走などの危険】なんですが、
このことに悩んでいた時に義母さんから言われたのが、
「大丈夫じゃない?担任も副担任もいるはずだし見てくれるんじゃないかな?」
「それに子どもたちの中にはお世話したい子がいるから、子どもたち同士で助け合ってなんとかやってってくれると思うよ」
「子どもたちってすごいんだよ、何か解決策を自分たちで見つけていくんだよ」
…といった言葉でした。
この「子どもたち同士でお世話し合ったり助け合う」ということ。
それ自体素晴らしいことだと思うし、“子どもの可能性”を信じる気持ちは分かるんですが、
私はできれば「前を歩いていた人がハンカチを落としたのを見かけた→自ずと手が動いてハンカチを拾い→落としましたよと声をかけた」のような、
可能な限り無理のない・自発的な行動が中心であるほうが良いんじゃないかなと思うんです。特に子どもたちは。
また「発達に凸凹がある子を含めた子ども同士」の場合、
●この位の支援で適切なのか?自分でやるチャンスを奪っていないか?
●手助けする方の子は頑張りすぎていないか?特に昔の私のようなあまり主張しないタイプの子だと背負い過ぎてることも。
●娘のように脱走などの危険を伴う行動がある場合、親としては「他の子が言ってくれる・やってくれる」とはとてもじゃないけど言えない。そんなの負わせられない。可哀想。親=大人一人=私一人でも大変なのに😭
●「子どもたち同士で助け合ってくれるはずだ」というのは“子どもたちの可能性に期待する”という点では良いことだと思うけど、「お世話する・手伝う」っていう範疇のことは、やっぱり「最終的な責任は(親を含めた)大人が持つからね」ということをちゃんと決めておかないと…。
こういったところも考慮に入れたほうがいいのではないかと考えました。
まとめ:子供の頃助ける側を経験し、助けてもらう側の子の親になって思うこと
今回、学校の「お世話係」について考えてみて、
●子どもの頃経験した助ける側としては、
困った時にその場ですぐに相談できる大人がいなかったのが一番辛かったし、
●今この制度が身近にあったら、おそらく助けてもらう側になる子を持つ親としては、
「大変なんですマジで、うちの子見るの。だから、助けてくれる優しい子が居てくれるのがすごく嬉しいし、とってもありがたいんだけど、負いすぎないでほしい。先生も負わせすぎないでほしいな」
「そして、引き受けそうな子のところへ集中させないであげてほしいな」
「というかそもそも、そういう専門の大人(職員さんや先生)がいるのが私の中では理想的だけど…それは学校という場所の過酷な労働環境とか根本的な問題があるし…学校の先生方は実際頑張っていらっしゃる方が多いし、そのもっと上からの制度的な問題なのかな…」
こんな風にいろいろ感じました。
こういうの考えてると、だいたい行政の制度とか環境自体とか根本的な部分の話になっちゃいますね…うーん…🤔
本当にどういう成り立ちで始まった係(制度?)なのか分からないんですが、
だからこそ、助けられる側・助ける側・先生、誰のためにもなっていない状況になってしまうこともあると思うので、改善されてほしいと思います。
長文読んでいただきありがとうございました!






