「障害は個性」という言葉について思うこと

●私が思うこと,考え・気づき

私が思うこと 凸凹家族のひとりごと。

こんばんは!lenoreです☆

今日は「障害は個性」という言葉について考えてみたいと思います。

よく聞く言葉ではあるんですが…なんか違和感?不思議な印象をもっていたんです🙄

確かにそうだと思う部分はある、でも…

「障害は個性」という言葉は、ものすごく広ーーい範囲でいうと得手不得手とか得意不得意という意味に近いので、その意味では理解が出来ます

ただ私は、この「障害は個性」という言葉を使う時に忘れてはいけない・気をつけなければいけないことがあると思っています。

それは「どこかの点で平均よりは遅れがある」という事実は念頭においた方が良いのでは?ということです。

 

「知的障害じゃないわよ」
「いずれ話すよ」
「しゃべれてるじゃない?」
「考えすぎよ」
「そんなもんじゃない?」
「個性と思えば…」
など…

知的障害・発達障害のお子さんをお持ちの方は、1度はこういった言葉をかけられる事があるのではないでしょうか?

私自身もそうです。今までさまざまなタイミングでこう声をかけてもらいました。

娘の発達を不安に思うことには変わりはないのですが…言葉をかけてくれること自体気を遣ってくれていることの裏返しかなと思うので感謝です。

 

そしてそういった言葉をかけてもらった時ふと、もしも母親である私自身が、

娘は知的障害・発達障害じゃない!ただ個性なだけだ!
=どこかの点で平均よりは遅れがあるとは念頭におかない!ってなっていたら一体どうなるの?

ということを考えました。

結果的に娘が困るのでは?

それを考えた時に思い出したのは、療育手帳発行に伴う発達検査を行ってくれた児童相談所の方の言葉でした。

「娘さんのDQ42という値と、特に言語面の遅れ(暦年齢3歳2ヶ月で言語面は0歳11ヶ月くらいの成長でした)から考えると、加配の先生が常には居ないかもの状態で園生活を過ごすのは、大人が現地の言葉を全く勉強せずわからない状態で、現地ガイド無しで1人で海外旅行に行くのに近いと思います

※私が住んでいる市の保育園からは「クラスをまたいだ配慮が必要な子4人に対し加配の先生1人という制度なので & 療育手帳判定Bだと加配は常にはいない可能性が高いです=別のクラスへ行ったっきりもある」と見学時に言われています。

 

児童相談所の方のこの表現は、外国語を勉強していた私にとっては非常に分かりやすかった!

「確かに、娘の成長の遅れを念頭に入れずに年齢通りで年少から加配がいないかもの保育園に入れるのは、結果的に彼女が困ることになるのでは…🤔?」と想像がしやすかった!

はっきりと言って頂けて私はありがたかったなあ🙇🏻‍♀️🙇🏻‍♀️

 

まあでも実際には、大切に育てている娘に障害があるとなり「そ、そうか…😐🙄😫😭」となった時もあるし、

「定型発達の子いいなあ😭」と思ったこともあります。これは…実際やっぱり思っちゃうよね…受容は難しい

 

でも、かなり早い段階から(診断をもらったり発達検査を受ける前から)覚悟はしていたので、

“発達に遅れがある”とできるだけ早いタイミングで理解することによって、その分療育選びに早く取りかかれたのではないか=悩む・検討する時間を多く取れたのではないか

とポジティブに切り替えています🙋🏻‍♀️✨

よく使う意味の“個性”では済まされない大変さ

「障害は個性」という言葉は、現状を過度に突き詰めず第三者からイメージしやすいといったポジティブな面があるので、使いやすい言葉かなとは思います。

ただ、その子その子で凸凹があるということをまず認めるというの忘れてはいけないと、日々娘を育てていて痛感するのも事実です。

そして「個性だね」だけでは済まされない大変さが毎日毎日満載…😣😭

 

(よく使う意味での)個性だから障害ではない」=「配慮は特に…いいよね」といった解釈にならないといいな…

…と、世界の片隅で凸凹家族の1人・アラフォーお母さん(私🙋🏻‍♀️)が思ったのでした…笑😂

難しいですよね捉え方って。かわいい自分の子どもだし受け入れるのに時間がかかってしまうものだと思います。

 

長くなってしまいましたm(_ _)m

読んでいただき、ありがとうございました☆



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Posted by lenore