義家族さんと娘の発達について話して疲れるの巻
おはようございます☆lenoreです!
今日は義家族と娘の発達について話をした時のことを書こうと思います。
いやぁ…疲れた!笑
小学校の先生をしている義母さん
結論から言うと、発達や療育のことまで義家族と話してみて感じたのは、
「療育や学校の先生には、知的障害や発達障害についての知識があった上で娘に根気よく接してもらえるとありがたいなあと思うけど、義家族や親族にはまずそのまんまの娘を見てもらえるとありがたいなあ(むしろ知識ゼロでも)」
ということでした。あと単純に疲れた😂笑
というのも、いつもお世話になっている義母さんは小学校の先生。
つまり4歳の娘が直近でこれから辿るであろう環境(小学校)を長く経験されてきた方。
なので娘に起こりうることを過去の教育経験からいろいろ話してくださるんです。
基本的には私たち夫婦と一緒で“娘が生きやすい環境を模索していこう”という方向性は同じなんですが、
話してみるとなぜか私自身の中で違和感をもつ部分があったんです。
もともと結構仲良い方なので「なんでかな?」と考えてみたところ、
私の中で違和感を持ったのは、義母さんが「先生」の立場で話をされている部分なんだと分かったんです。
息子(主人)を育てた母・孫(娘)に対しての祖母の立場ではなくです。
学級の“経営者”
「先生」って、教育する人という意味がもちろん1番大きいんですが、
学級運営という点でいうと経営者的部分(上に立ってまとめる)もありますよね。
その経営者的目線で義母さんが話をしてくださる時に、
私の中では「ん?これは娘個人の発達をまず見てから言っているのかな?」と感じることがよくありました🤔
ある時、娘の発達について話していた時に、
「孫ちゃんみたいなタイプの子がクラスにいると、周りのみんなが自然に助けてあげよう・手伝おうという気になって、クラス全体がすごくまとまって雰囲気が良くなるの。子どもって本当にすごいよ。だから孫ちゃんみたいなタイプの子がクラスにいてくれてほんとによかったと思ってる。ありがとう」
…的なことを言われた時は、どう答えていいのか正直戸惑いました😓ソコヲアリガトウトイワレテモ…
…娘の凸凹はクラス全体のまとまりや雰囲気のためではないですもんね😯😓
誇りを持ってされている仕事なので、先生目線の見方があるのは当たり前なんですが、
「凸凹がある子がいると全体のまとまりが良くなって…」みたいなのは、
先生の内輪だけで話してほしかったなと感じました。
あとこれは私の取り越し苦労だとは思いますが笑、
「義母さんのクラスにいた凸凹タイプの子には、周りが手伝ってくれるのはこの位でいいか・本当は自分でできるしたいではないか・手伝ってもらっても難しい部分はなかったか…等、全体の雰囲気だけではなくその子個人に対するフォローはちゃんとあったのかな…?」
…と後から気になってしまいました😅💦
「全体」教育のなかでの「個人」の力
小学校以降の教育は、今までの環境よりももっと全体教育になります。
だからこそ娘には、困った時・分からない時・難しい時に、
(私、ここで困っています。教えてほしいです)
と助けを求められる個人の力も身につけていってほしいなと心から思います。
娘、療育通ってこの「助けを求める」という辺りがだいぶ成長してきたかな…?
以前はそもそも人に助けを求めるという概念がなかったから、
困ってもみんながワイワイしてる中で(出来なかった~まあいいや)になってたもんなぁ…😅
長文読んでいただき、ありがとうございましたm(__)m