【多動】娘を見ていて気づいた「合間の無さ」
こんばんは!lenoreです。
今回は、娘を見ていて気づいた「合間の無さ」について書こうと思います。
じっと出来ない・止まれない等はもう日常茶飯事なので、そのこと自体は慣れているのですが、
よくよく考えてみたら、娘も私たちも、すごくハードなことをやっているんだなと感じました😮
矢継ぎ早に次々と
私が何となく娘の「合間の無さ」について考えたのは、家でごはんを食べていた時のことです。
そろそろ夏休みに入る時期ですし、支援学校の日程も普段とちょっと違う日があったので、
夫と話しておこうと「今週の◯◯なんだけどさ…」と私が話し出すと…
娘「お茶」
私「お茶 が 何?」
娘「お茶をちょうだい」
私「良いよ」注ぐ
私「んで…何だっけ、あ、その日だけ時間割がこうなっててね…」
娘「お茶」
私「え?今注いだばっかり…ってもう飲み干したのか」注ぐ「えーっと…あ、そこだけいつもと違うから注意…」
娘の手が私のおかず皿に伸びてくる
私「勝手に取っちゃだめだよ。おに…?」
娘「お肉」
私「お肉 を…?」
娘「お肉を ちょうだい 良いよ」
私「良いよ。じゃあ半分こしようか、はい」 「えーーっと…どこまで話したっけ🙃?」
…こんな感じで、ほぼ数分おきの間隔で娘に何かを頼まれる・入れるというのが多いんです。
(この上のやり取りは2分強くらいの間に起こっています)
「休み時間の無い時間割」
娘が何かを頼んできてくれたり、言葉を表出してくれたりするのは良いことですし、
やり取りがあることで言葉の成長にも繋がるので、とても嬉しいです。
その一方でふと「もし私がこの娘の行動をそっくり真似るとしたら…🤔」と考えて、数分おきに相手(夫)に何かしてみようとちょっとやってみたんです。
結果「息つく合間も無くてとても出来ないわ😅すご」となりました。
(以前「ずーっと喋ってる娘の言葉をその場で即真似してどこまで続けられるか」というのもやってみたんですが、その時も10分と保ちませんでした)
実際に娘と同じペースで喋ったり動いたりしてみると、体のあらゆるところがすごく疲れるんですよね。
よく療育の先生から「ふとした時で良いので、娘ちゃんにマッサージしてあげるといいかも知れません」と言われるんですが、その理由がよく分かりました。
同じ動きをやってみると「体が弛緩している瞬間が少ない/無いな」と感じるんです。
体の動きから頭に浮かぶ言葉まで、とにかく矢継ぎ早に出てくるので、
まるで「休み時間の部分が載っていない時間割」みたいだなと思いました。
(国語の授業のあと休み時間とか一切無しで即算数…って感じです💦)
「休む」「待つ」を組み込む
娘の行動が合間無く次々に出てくるのって、多分大人でいう
「没頭しすぎてご飯の時間忘れてた/お風呂忘れてた(連続してやってた)」とかが近いのかなと思うんですが、
頭の中に順番にどんどん出てきて、それが大体いつも決まった順序で出てくるなら、
時間割の項目の「休み時間」の様に、「休む」「待つ」を「やること」として組み込んでいくと良いのかもとも思ったんです。
娘は多分「少し休もう」とか「待つよ」など言われても、具体的に何をすれば良いのか分からない
=何をする時間か分からないから余計に頭に浮かぶものを矢継ぎ早にやるしかない…系かなと思うので、
「◯時までゴロンしよう」「手はお膝で数を数えよう」など、休み方・待ち方を意識して教えていかないとなと改めて感じました。
まとめ
娘は本当によく喋るし(主にエコラリア・歌)よく動くし、元気いっぱいなんですが、
おやつ中に自分で開けられない菓子袋があって私に渡してきて、私がそれをやろうとする瞬間には
「開けてもらうまでの時間もったいないから本読もーっと」という雰囲気で即離席する感じの子なので、
何というか…傍から見るとすごく生き急いでいる感じ?に見えます😂袋なんてすぐ開くよ笑😂
(まぁある意味一瞬のスキも逃さず有効に使いたい人とも言えるのかも)
やりたいことがたくさん出てくること自体は良いと思う一方で、
やはり本人の体の方が追いつかなくなったり、
他の人も一緒に居る空間(学校や社会)だとそういうわけにはいかないことも多いので、
体の緊張をうまく逃して、自分で「合間」を作れる・意識できるようにサポートしていきたいと思います。
読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m